長女を妊娠していた当時、診断されたのは「切迫流産」。その後すぐに「切迫早産」へと診断が切り替わり、自宅安静と管理入院を半年間も繰り返す毎日が続きました。
妊娠後期にはお腹の張りが強まり、2本の点滴をつけたまま過ごすほど症状が悪化。担当医からも「できるだけ早めに出産した方がいい」と告げられ、36週での出産が決まりました。赤ちゃんが自力で生きられる、まさにギリギリのタイミングでした。
予定帝王切開で誕生した娘はとても小さく、最初は保育器の中で過ごすことに。幸いなことに、呼吸や内臓に大きな問題は見られず、数日後にはベビーベッドへ移動できるほどに。私は1週間で退院となり、その後もしばらくの間は毎日母乳を届けに病院へ通いました。
体重の増加も順調で、無事に退院できたときは心の底からホッとしたのを覚えています。その後は実家での里帰り生活が始まりましたが、娘の体重も身長も成長曲線の下限ギリギリ。授乳のたびにベビースケールで体重を測る日々が続き、常に「ちゃんと育ってくれるだろうか」という不安が頭から離れませんでした。
3歳児健診でもまだ発育はゆっくりで、成長曲線の下の方に位置していました。それでも、幼稚園に入園してから娘の様子が少しずつ変わり始めます。集団での活動や給食など、刺激の多い環境が良い影響を与えたのでしょう。年少の頃は背の順で一番前だった娘が、年長になる頃には列の真ん中あたりにまで成長してくれました。
3月生まれの早生まれであることを思えば、その変化はとても大きなもの。小さく生まれて心配ばかりだった日々を思い返すと、成長した娘の姿に自然と涙がこぼれました。